気持ちを文字にするということ

ブログを書いていると、様々なことについて、考えることが増えました。

というよりも、いままで頭で考えていたことや日常をを文字にすることによって、

自分が思っていることが鮮明になったり、

つまらないと思っていた日常が、実は平和でかけがえのない1日であったりと、そこは

誰かに聞いてほしい自分の気持ちを、吐露する場であり、小さな幸せを発見できる場所になっています。

その日の頭にあることが、少し美化されて、表現されている、そんな自己評価笑

しかし、負の感情は、上手く書けません。

あまり書きたくない、というのもありますが、上手く書けない、のです。

文字にできない感情。

どんな言葉にしても、しっくりとこない。

もちろん自分の語彙や表現力の問題もあります。

そして、それを公開することが怖い。文字にし公開することで、それは圧倒的に肯定された自分の気持ちになってしまうからです。

強い負の感情に引っ張られた時、きっと私はブログを書くことが出来ないのだろうな、と思います。

文字から少し離れますが

落ち込んだ時に、相談してください、と取ってつけたようなお決まりの情報を最近はよく目に、耳にします。

でもそれが出来ないから辛いのでは。

相談しようにも、きっと怖くて言葉にできないのだから。

一昨日、上島竜兵さんの自死を受け、友人から

「やっぱり悲しいね」

と一言だけラインが来ました。

「悲しいね」

と一言だけ返せばよかったと後悔してます。

つらつらと、自分の思いを書いたことで、それはそこにある自分の感情と離れていってる、と感じたからです。

同じ思いをしている人がいる、それを分かち合えば、それでよかったのです。

あまりにも悲しいことは文字にできないのです。

2 COMMENTS

りんちく

分かります。
書けないなら書かなければいいだけなのに、自分の中の一番大きな気持ちに蓋をして他の事を書いていても気持ちが迷子になるし、書かないとその気持ちがないものになってしまうような寂しさもあって。でも書けなくて。
発信してるほとんどの人が感じているジレンマなのでしょうね。。。

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みなすぬ

コメントありがとうございます(๑╹ω╹๑ )

当たり前なのですが、ブロブに書くことはその人のほんの一部であり、全てではありませんよね。
ですが、その時1番に頭にある事を書けないというのは、自分の未熟さでもあると思うのです。
が、今回、書けない、と書けたことがよかったと思います。(私の文はややこしい💦自覚あり)

私は人の深い悲しみと向き合った時に文字が書けなくなります。

文字にしようとすると、あまりに無責任で陳腐な自分がいるからです。
それを説明しようとすると、言い訳みたいで、おかしなことになるからです。

そしてもう一つは、その事柄についての様々な発信に触れると、さらに悲しくなってしまうことも多いのです。
少なくとも自分はそうはなりたくないと思ってしまうのであります。

悲しいことは、ただ、悲しい でいいいではないか。
と感じるブログなのでした。

亡くなられた方のご冥福を心からお祈りいたします。

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