先日、高校時代からの友人が、デパートの昭和レトロ展に行ってきたよ、と写真などをラインで送ってくれました(๑˃̵ᴗ˂̵)
すっかり昭和、物で溢れた時代は過去のもの
送られてきた展示の写真には、見る限り、物に溢れ、懐かしきものの数々(๑˃̵ᴗ˂̵)
そして思うのです。
あー、昭和ってやっぱり随分と過去なのだなぁ。レトロなのですよ、昭和の全てが。
そして、あらためて、物の時代だったんだなぁ、という思い。
戦後は、新しいものがどんどん生まれ、
たくさんのも物を持つことが幸福の象徴だった時代。
令和の今では、そのほとんどがスマホという小さな四角い物体に、吸い込まれていってしまったように思います。
電話、カメラ、お財布、音楽、書籍、新聞、ノート、時計、計算機、手紙、銀行、テレビ、映画、ゲーム
あー、キリがない笑
今は物を持たない時代。
息子が歳をとった時、そしてもっと未来、平成、令和レトロ展なんてものがあったら、そこには何が展示されているのだろう。
スマホのみ?
そもそも展示なんて概念もないか、きっと笑。
なんだか今は、どんどん物が消えていく世界、それを感じるセンチメンタルな便りでした。(ラインでね)
今を生きる
たくさんの物で溢れていた時代、あの頃はよかったね。
とは言いたくないけれど、(だっていつだって今を生きたいじゃないですか笑)
たまにふと、この日本に生まれて、いつの時代に生まれるのが幸せなのか?などということを考えてしまいます。
タイムマシンで生まれる時代を操作できない限り、全く不毛な問いでありますが。
戦後に生まれ、このまま戦争が起きずに生涯を終える人達でしょうか。
それとも息子達の時代?もっと未来?
そんなことを考えていると、やはり戦争があった時代の不幸は計りしれません。
物がどうこう、ということなどすっ飛ばして、圧倒的に幸せから遠ざかります。
戦争がない時代に生まれ、戦争を体験なく命を全うできたなら、そこはとても幸せな時代ときっと言えるのでしょう。
昭和は戦争という大きな負の側面もあります。
戦争の時代を生きた人たちを思うと、昭和はよかったね、などということはできないのです。
世界では常に戦争や紛争が絶えません。
戦争のない世界、人類には無理なことなのでしょうか。
昭和レトロの話からずれてしまいましたが💦
何事の良し悪しも、ひとくくりには語れません
ということなのでしょう。まとまりがないか。
結局は
世界が穏やかになって欲しいと願いつつ、
今を一生懸命に生きる。
この言葉を大事にしようと思う、本日のスタートであります。まとまったか?
(^_^*)