久しぶりの空手観戦

昨日は久しぶりに息子の空手の試合を観戦しました。

といっても、家でのYouTube観戦。

便利な時代になったものです。

今ではかなりの試合をライブで見ることができます。

息子の空手は、大学生になってめっきりと親の手が離れ、今ではいつ、何の試合があるのかも把握していない状態です。

が、

試合が中継されるとなると、始まる前からパソコン画面をセットし、息子が出るコートを確認。

なんだかソワソワする感じが思い出されました。

昨日は大学別の団体戦。

息子は3回戦で負けてしまい、そこでチームも敗退という結果でしたが、

その感想は勝敗、試合の内容よりも、

あー懐かしいなぁ

というもの。

以前は生活の中心が空手だった日々。

毎週のように試合の応援に出かけ、一つ勝つことにどれだけドキドキしただろうか。

頑張ってきた仲間と時間は宝物

そして、息子の他にも、小さい頃から、何度も試合してきた、よきライバルたちの姿が画面に映し出され、

(マスクで顔が半分隠れているのが残念ですが)みんな立派な大人顔に(๑╹ω╹๑ )

一つの時代が流れたのだなぁ、としみじみとしてしまいました。

この約15年に及ぶ息子の空手生活の中で得た、たくさんの経験と全国の仲間たち。

最近では決して頑張っているとはいえない息子の空手ですが、今まで一生懸命続けてきた時間とこの仲間は、息子を形成する大切な一部となっているのです。

師範からの評価に恐縮しきりですが

そんな感傷に浸っていた昨日、偶然にも息子の空手師範のFBが投稿され、その内容は息子についてのものでした。

この師範、とてもすごい方なのですが、息子が直接教わっている時も、息子のことをとても褒めてくれていました。

昨日の投稿もまた、親として、とても恐縮する内容。

変わり者だった息子を尊重してくれたありがたいお言葉です。

私では評価できない息子の1部分を、高く評価してくださる人がいる。

そんな時、それは、美化されているようでとても恐縮するのだけれど、しかし一方、それもまた、実際の息子の1面であるということに変わりないのではないか、とも思い直しました。

同じ事象でも、見る人によって、捉え方によって、全く違った事象になる。

息子の評価も、師範から見て、そう見えていることに間違いはないのだから。

人を評価するのは自身ではなく、人であるのだから。

そう考えると

以前の投稿で述べた 思考の遺伝

息子の大半は、周りの人の善意の思考によって形成されている、そんな気さえしてきます。

そう思うとまた、ありがたいことだなぁ、と感謝してしまうのです。

人が人を作る

またまた思考の深みにはまりそうな雲ゆきですが、

結局は人が人を作るのですね。

思えば子育てしている最中も、実は自分が育てている、という感覚が全くなかった私。

というのも、常に行動的な息子についていくのがやっと。余裕がないというのが正直なところ。

小さい頃から親の手元から離れ、知らない世界、知らない人の中にもグングンと入っていった息子、

そして天邪鬼で親の言うことを全く聞かなかったというのもあり、

常に息子は周りの方々に育ててもらっているのだなぁ、という感覚でありました。育児放棄ではありませんよ笑

ある意味、避けられなかったことですが、結果、多くの周りの人々との関わりによって今の息子があります。

なので、

親が思っている息子よりも、他人様から見た息子の方が、より本質に近いかもしれないのです。

禅問答のようになってきたので、この辺で終わりたいと思いますが💦

つまりは

空手を通してまた、人との繋がりを感謝する、1日なのでしたー(๑╹ω╹๑ )

空手を始めた頃の息子

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