昨日の投稿で、実家の倉庫の不用品の処分について書いたのですが、
あの話には続きで書きたいことがあります。
と言っても、これからの不用品たちの行方ではなく(笑)
父と倉庫の前で佇んでいると、この地区の民生委員のYさんと偶然ばったりとお会いしたことです。
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スーパーボランティア
この方、ただの民生委員ではございません。
私が思うに、民生委員のという名の元のスーパーボランティア活動家(そんなネーミングないのですが💦)
このように思うのは、そのパワフルさ、徹底したボランティア精神から、尾畠春夫さん(スーパーボランティアとして有名になった方)を思い出してしまうから、なのです。
Yさんは女性ですが。(念のため^_^)
一昨日も、実にタイムリーな出会いですが、同じマンションの、同じような片付けに困ってる方を助けに、一緒に軍手をして、掃除されているのです。
うちの事情を話すと、安くて、なんでも持ってってくれる業者さんに、とりあえず見積もりだけ出してもらうわ、とのこと。
見れば、処分するには困る家電や、解体が必要な棚や、粗大ゴミなどもあるので、そのほうが安いかもしれません。
また助けられました。
が、そんなことは当然かのよう。
今は亡き母が、事故にあい、入院した時も、真っ先にかけつけ、元気付けてくれ、その後も亡くなるまで母を励まし続け、(母は私が行くよりもYさんの顔を見ると喜んでいました!)看護する我々にまで手作りスープの差し入れをしてくれてたり、
一時、母が家での介護が必要になった時も、
介護に必要な様々な手配や、助言の数々、ほんとにほんとに凄いんです!
父も私もすっかり頼り切っていました。
今では一人になった父を気遣い、たまには手作りのご飯を差し入れてくれたり、
それこそ、部屋いっぱいに溜まった処分するべき不用品を、少しでもお金になるようにと、売りに飛び回ってくれたり、バザーに出したりしてくれるのです。
そして、お礼などは、民生委員だから、という理由で一切受け取ってくれません。
なんでこここまで、親身になってくれるのだろう。
それが、うちだけ特別親しいから、というわけでなく、地域の方の皆さんにされていることなのです。
このパワーとボランティア精神、尊敬してしまいます。
一昨日は、久しぶりにYさんの姿を見れて、再び感心。
そして、この方が実家のエリアの民生委員でいてくれるという、安心感で溢れたのでした。
人のために生きるとは
このブログのテーマでもある、(そうだったのか?)子育て終了してからの自由時時間、どう生きるか。
私も人の役に立ちたいのだー。と思いました。(単純笑)
Yさんのようにすごいことはできないけれど、何か人のためになることがしたいっ。
それは仕事なのか、ボランティアなのか。
それはお金を稼ぐ、ということと相反してしまうのか??
これからは自分の力でお金を稼ぐということが大事、ということから始まり、稼ぐことを模索し続けていますが、
自分の力で稼ぐ、これは変わらず、とても大事、挑戦し続けたい、と思っています。
しかし一方で、この”稼ぐ”、ということが先にきてしまうと、どうも、自分は上手くいかないことに気づき始めていたのです。
giveの精神
最近、ネットでよく、giveの精神という言葉を目に。
taker(いただくばかりの人)にならずに、まずは自分がgiver(与える側の人)になろう的なことなのですが。。。
自分が求めていた言葉は、
『あーもしかして、これかもー』
『なのか、なのかーっ』
とも思いましたが、どうもこのgiveという言葉に、しっくりきてないのであります私。(我がままっ)
内容より、この言葉のニュアンスの問題ですね。
ちょっと偉そうな感じ。
結局は自分のためなのに、与えてあげようではないか、はっはっは\\\\٩( ‘ω’ )و ////、的な。
このgiveの精神が言いたいことは、
自分の得ばかりを考えては、何も得られませんよ、ということなのだけれど。。。
単純なことを、深く考えすぎてる?私笑
結局は、人のためは、自分のため
極論、人のためになっていない仕事なんてないし、人のためになるとこは、自分のためである、(情けは人のためならず、ともいうではありませんか!)
つべこべ考えずに、彷徨いながらも行動し続けよう!と、思いを新たにしました。
いずれ、何をするのか、答えが見つかることでしょう( ´ ▽ ` )
長いこと書いて、
結局、何も、わかってないんかーい!
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